ご近所さんのこと

考えたこと
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ここに引っ越してから(つまり離婚してから)、足掛け13年になります…。

以前住んでいた場所と同じ区内であるとは言え、誰1人知人もいない場所での1人住まいを始めることとなったので、不安が無かったと言えば嘘になりますよね。

ところが幸運なことに、たまたま同じ階の2軒隣の方と親しくさせて頂くことができ、以来12年以上気持ちの良い距離感のお付き合いが続いているというしだいなんです。

13歳年上の彼女は80代半ばになりますが、仕事時代の友人達との食事や旅行を楽しんだり、好きなスポーツのTV観戦や映画鑑賞、美術館巡りなど、私との趣味も近いのでよく一緒に出かけることがあり、3月初めの新井薬師骨董市も彼女と出掛けた次第なんです。

ここ数日は大谷翔平君に夢中で、毎日TVにかじりついています。(笑)

彼女の経歴や交流のあった人達の輪は、私にとってはとても魅力的なので、今回少し紹介させていただこうと思います。

青森県出身の彼女は、弘前大学を中退した後、荻窪駅の南口で画材店と画廊をやっていたお姉さんの手伝いをしていたそうです。

その頃の画廊には、駆け出しの絵描きや美術評論家がたむろしていて、未だ名も無い彼らの、世に認められるのを待つ熱気に溢れていたと言うことです。

そのような新進気鋭の芸術家達と、後に高名な美術評論家になった中原佑介が、彼女に言わせると全くチンプンカンプンな美術論などを戦わせていたとのことでした…。

そんな中、裁判で裁かれることになった前衛芸術家・赤瀬川原平の「模型千円札事件」が起こり、画廊は弁護団の事務所になり、裁判の費用捻出の為に芸術家達が自作の焼き印を押した蒲鉾を売り出すなど、大真面目でありながらトボケた活動を繰り広げたのだそうです。彼女は赤瀬川さんや中原さんを始め、当時の弁護を引き受けた杉本昌純弁護士とも亡くなられるまで、長く良い付き合いを続けられたということです。

判決は結局、模型ではなく「模造」との判断を下されましたが、作品の千円札は没収されることなく全て返されたそうで、当時お金のなかった赤瀬川さんはお礼代わりに、力を貸してくれた人達に「そのうち価値が出るよ」と言って、作品として作り直した0円札を配ったそうです。

赤瀬川さんが亡くなる間際に病院にお見舞いに行くと、「あれね、随分な値段になったってさ…」と言っていたそうです。

赤瀬川さんだけでなく、南伸坊さんや、後に花園神社で紅テント公演をして有名になった唐十郎の劇団が、まだ戸山公園内の箱根山で李麗仙主演の「腰巻きお仙」を初演した時は、呉座を敷いただけの座席に澁澤龍彦と並んで見ていたそうですから、驚きですよね‼️

その頃の、劇団唐組のポスターを作成したのは横尾忠則で、クローゼットの中からクルクルと巻いたポスターを広げて見せてもらいました。

離婚して生命保険の営業を始めた彼女を助けようと、杉本弁護士や赤瀬川さん、南伸坊さんなどが保険に入ってくれたり、紅テント劇団の俳優だった根津甚八さんが保険に入ったということでした。

実際のところ、彼女の人柄の誠実さや弁えのある賢さが、長い付き合いを壊すことなく良い縁を繋いでいったのではないかな…と思いながら、昭和の一時代を駆け抜けた芸術家達の話を楽しんでいる私です。

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