生きるということ

考えたこと
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昨夜、弟が亡くなりました…。

4年前の丁度この頃、コロナの発生と時期を同じくして、ステージの高いスキルス性胃ガンが見つかり、折もおりから、別れも叶わずに見送ることも覚悟していたのです。

しかし義妹をはじめ、3人の娘達やそのご主人、孫達の愛情に囲まれて、1年また1年と命を延ばし、ただ病床にいるのではなく、スキーや釣りや旅行を計画して時を過ごしていたのでした。

私や姉は、出来るだけ長く家族との時間を過ごせるよう、感染症の危険から見舞いを避けて見守っていました。

昨年などは、6月の誕生日に具合を聞くメールを送ると、佐島で幼馴染の親友と蛸釣りをしていたとの返信があり、なんと元気なことと、呆れて胸を撫で下ろしたものでした。

そんな弟は、昨年の9月頃まで、運転をするなどして長女のいた北海道を旅行していたのです。

しかし、秋以降、油断をさせていた癌が力を盛り返し全身に転移すると、あっという間に体調が悪化して行きました。

5月の初旬に、弟からの意思で面会をすることになり、私と姉は病院を訪れました。

しばらくぶりに見る弟は、送られてくる写真で見るよりもずっと痩せていましたが、声にハリもあり、悲壮感もなく自分の病気と折り合いをつけて生きて来た姿勢が感じられたのです。

宣告直後の失望から見事に復活して、残された時間の過ごし方を理性的にコントロールしていた様子が窺われ、我が弟ながら感服させられた思いでした。

その後3回、今までの時間を埋め合わせるように見舞いをしましたが、容体の悪化は目を奪うほどのスピードで襲って来ました。

そんな時でも、主治医の先生や看護師の方に、自分の今後の時間やその時々の処置について希望を述べていたそうです。

そんな折、いつもの計画の神社参拝や、長男の墓参りが重なっていたので、それぞれに同行する友人からは、色々と優しい気遣いを頂いていました。

いつでも取りやめや延期にするつもりで迎えた予定も終え、土曜日には最後の見舞いを済ませ、もう心残りなしと出かけた息子の墓参りで、20年以上同行してくれている親友から、その日も見舞いに行くことを勧められたのです。

もう心残りないという私に、自分はすぐ帰るから、せっかく近くにいるのだから行って上げなさいと友人は勧めました。

取り敢えず食事をしていると、容態の悪化を知らせるメールが入ったので、友人と別れタクシーで病院に向かいました。

そこには、義理の妹と3人の娘達が、鎮静剤の投与を止めて、幼馴染の友人が着くのを待っていたのです。

中学の入試以来、釣りを通して、兄弟同様の付き合いを続けている友人で、義理の妹とも大学の釣魚会の上級生という間柄でもあり、家族ぐるみの付き合いを続けている友人でした。

勿論、私も中学生の頃から知っていたので、色々な思い出話に花が咲きました。

枕元での泣き笑いの時間を共に過ごせたことは、4年間の空白や、見送れない事を覚悟したことさえ忘れさせる素晴らしい時間だったと思います。

私はその後、午後4時近くに病室を後にしましたが、親友の彼は、午後11時近くに弟が逝くのを家族と共に看取ってくれたと、夜中に娘から連絡がありました…。

68歳の誕生日を迎えることなく世を去った弟は、今の時代では大層短い人生であったかもしれません。

しかし、思いがけず死病に襲われたことから、1日1日を大切に楽しんで生きることにシフトし、最期は兄弟同然の友人や妻と娘達に看取られて旅立つ事が出来たのは、極楽往生を地で行ったのではないかと、心から羨ましく思った次第です。

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