にほんブログ村読む時はこのブログ村をポチってね!
今、私が読んでいるのは、キム・ヘナムさんという、パーキンソン病と闘っている精神分析専門医の方の本です。
65歳程になる韓国の女性精神科医で、40台の時に発病し、20年以上を病と共に過ごしているということです。
儒教の道徳感の強かった時代に、女性として目的と仕事に向かうために、全てを完璧にこなす事を第一に生きてきた彼女は、40代で治療法のないパーキンソン病を発病して、いかに自分自身をなおざりにした人生を過ごして来たことかという想いを込めて、「もし、私が人生をやり直せたら」という本を書いたのです。
私が今読んでいるのはその本です。
病気のこと、これまでの生き方、医師として働いた30年間に分かったこと、今だから言える患者さんに話したいこと、パーキンソン病の私が楽しく生きている理由、40歳で知っておきたかったこと、そして最後の章には、もし私が人生をやり直せたらという思いが書かれているのです。
そんな彼女の本を読んでいるのに、何故ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」なのかと思われましたか?
それはね、私自身が様々な年代の時、様々な状況の時に、この本を再読しては学びを得ていたからなのです。
最初に出会ったのは、中等科時代の図書館で…。解放直後のアウシュビッツの写真に衝撃を受けました。材木のように積み上げられた屍体の山、ブツンと根本から切られた編まれた金髪、入れ墨のある皮膚を剥がして作られたランプシェード…。
およそ、人の心の闇という闇が物体化したような写真の数々でした。
その時は、ただただ怖いもの見たさの心境で、文章の記憶は殆ど有りませんでしたが、後年沢山の経験を積むに従って、極限を生き抜いたフランクルの想いの詰まった本文の重さに打たれ、何度も読み返すこととなったのです。
キムさんも、おそらくご自身の絶望感を前にして、この本を読まれたのではないでしょうか。
「生きることがつまらない」あなたへという章で、私にも大きな影響を与えた一文が載せられていたのです。実際の文章に触れたい方は、図書館やAmazonで手に入れて読んで見て下さい。
かいつまんで述べますね。
ある日、強制労働で死ぬほど疲れた「私」が、薄いスープの腕を手に土間にへたり込んでいると、突然、仲間が飛び込んできて、すぐに点呼場の広場に来いとせき立てるのです。まさに沈もうとしている太陽を見せようとして…。この世のものとも思えない幻想的な美しさに心を打たれていたわたしたちの誰かが言いました。「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」と。
キムさんが述べているように、私もこのくだりでは心を打たれました。
明日の生命の保証もない時ですら、人は世界の美しさに気付くことが出来るんだ…、とね。
そして、その力こそが日々を幸福に過ごすことが出来る原動力ではないでしょうか?
30年以上前に「死生学」という学問を日本に紹介した、上智大学のアルフォンス・デーケン神父様がよく仰っていた言葉に「にも関わらず笑う」という言葉がありました。
〜にも関わらず笑い、世界の美しさに打たれることが出来る心を持っていたいものです…。
そうそう、アウシュビッツから生還したフランクルがウィーンで行った講演を元に編纂された「それでも人生にイエスという」という本は、今も私の本棚にあり、折に触れて読み返している大切な書籍のひとつです。