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昨日は3月11日でしたね。
あの東日本大震災から13年が過ぎたそうです。
昨日、NHKの「あさイチ」では、震災を経験した人たちの様々なその後が特集されていました。
それと並行して、今年の1月1日に被災した能登地震の被災者の今についても…。
皆さん口に出せないほどの大変な思いを乗り越えて、今の生活を築いている様子が紹介されている中で、乗り越えられずにいる人がいる事も忘れないでほしいという投書が紹介されました。
その投書のことを聞いて、私はあることを思い出したのです。
それは、息子を亡くした25年前の出来事でした。
息子が亡くなった年の春先、私はある女性と出会いました…。
その時、不思議な縁で巡り合った女性から、人にはそれぞれに生まれてきた目的があり、その目的が達成した時に肉体を手放すのだということを聞いたのです。
その目的とは、それぞれの魂がその人生で得たかった経験や学びを得るということだというのでした。
必ずしも、経済的な成功や人々からの称賛といったものではなく、あくまでもその魂が学びたかったり経験したかったりしたものだというのです。
そして、人の肉体は魂の入れ物とか乗り物のようなものだから、魂が目的を達成したらそれを脱ぎ捨てて、次の段階に進むのだとも…。
息子の死の知らせを聞いた時、私は彼女の言葉をすぐに思い出しました。
彼女との出会いは、このような大変な経験を受け止めるために用意された、ショックアブソーバー(緩衝材)であったのだと…。
実際、人生半ばで旅立った息子の死を納得するためには、彼が何かを受け取って旅立ったのだとか、その死が無意味なものではなかったのだと、自分自身を納得させる必要があったからだと思います。
とにかく、この考え方は当時の私(今も同様ですが)の心に深く納得できるもので、私はこの考え方を以て息子の死を受け止め、素早いグリーフワークを行うことが出来たのです。
以前から愛読していた、エリザベス・キューブラー・ロスの主張とも全く同様であったからでした。
単純な私は、このことを知れば、子供を亡くした多くの親御さんが悲しみを乗り越える一助になるのでは…と考え、生と死を考える会のグリーフィングワークに参加しました。
病気や事故、自死によって子供を亡くした親御さん達が集まるその会で、私はあるご両親の話を聞いて衝撃を受け、この会は自分とは違うと思い、参加する事を止めてしまったのです。
それぞれ、子供さんを亡くした親御さんが、その死を避けることが出来なかった自分を責めている中で、その方は別な意見を述べておいでだったのです。
ご両親、特にお父様は、自死に至った息子の弱さを許すことが出来ないというのでした。
塾を経営しているご両親のもとで、一生懸命勉強して医大に進学したというのに、死んでしまった息子さんの弱さが許せなかったようです。もう長いこと、この会に参加しておいでの様子でしたが、乗り越えることが出来ていないようでした。
息子さんを知る生徒さんに聞かれると、息子は大学のあった土地で、医者をしていると答えるとのことでした。
その時は、苦しんで亡くなった上に、親からも糾弾され続ける息子さんが、なんと可哀想な人と同情したものでした…。
しかし、歳を重ねるにつれ、少しずつ考え方が変わって来たのです。
10年近い間、息子の死を受け止めることが出来なかった親御さんには、その方なりの時間が必要だったのだと…。
人によって消化力に違いがあり、食べる量も様々なように、悲しみを乗り越えるのに必要な時間の長さも、その方法も違うのだと思います。
そのご両親は、何度も何度も飴を舐め返すように、何年もの間に亘って息子さんを責めることで、ご自身の無念さを取り返していたのだと気付いたからです。
そして、いつかきっと納得出来るだけ無念さを取り返すことが出来た時、初めて息子さんの死を受け止めることができたに違いありません。
人の心は複雑で、単純な図式では解決の道を見つけることは出来ないのだと、心から考えさせられた出来事でした。
災害を乗り越えるために必要な心の時間は、本当に人それぞれだと心から思います。