「出来る」ってなに?

考えたこと
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「出来る」って言葉は便利な言葉ですね。元の意味の「〜をすることが出来る」という意味だけでなく、「優秀である」という意味を表現することもありますよね。

勿論、日本語だけでなくあらゆる言語で派生語というものはありますから、この言葉だけが…という訳ではないのですが、「出来る」に関しては、現代社会では元の意味よりも優秀であるという意味の方が強くなっているように思います。

あの人は「出来る」と言う時、その意味は様々な面において「優秀である」という意味を持って使われることが多いのではないでしょうか?

昨日のスマートニュースで、「優秀じゃないと受け入れられない社会から降りる選択をした芸大同級生夫婦の豊かな人生」だったと思う記事があり、読んでみました。

そこには、重度心身障害を抱えた長男を見送った後、50歳で小学校の図工教師になった方の仕事観が述べられていました。息子さんと過ごした時間がなければ、「自分もきっと上手に描けるだけの指導をしていたと思います」という言葉からは、「出来る」ようになることが大切だと思わされている、現代社会の息苦しさを感じて過ごしていらした経験がにじみでているように感じました。

図画や工作ですら「上手や下手」で判断される社会は、だれもが劣等感を持ちやすい世界であると言えないでしょうか?

私の息子も、4教科ではなく体育や美術の評価が高い人間でしたので、付属校に通っていたにも拘わらず大学進学が叶いませんでした。

息子の場合は、語学とガーデニングデザインを学ばせようと出したイギリスで、結局は美術大学に行きたいと現地で受験し、セントラル・セントマーティンというカレッジでファインアートを学ぶことになったのです。

残念なことに2年間を過ぎた時に事故で亡くなったのですが、語学研修を含んだ3年間はとても充実したものだったということが、息子の後始末に行ったイギリスで理解することが出来たのです。

日本のように、決まった時期に大学に入学し決まった時期に就職するというシステムではないので、年齢やバックグラウンドも違いますし、性別に対するこだわりもなくゲイの人なども普通にいたので、既成概念のない環境はとても楽しかったのではないかと思いました。

しかし、息子のような甘い状況ではない、生きていく事さえとても大変なお子さんを抱えておいでだったニュースの方では、「出来る」ということの持つ、強い社会的な拒否感を感じて過ごされてきたのではないかと思います。

「出来る」って括りに入らなくても委縮しないで欲しいと、塾で教えている生徒さんの中にも思う人がいます。以前の自分を少しでも超えることが出来たら、「私って出来る!」と思って欲しいと心から祈っている私なのです…。

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