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私、仕事を探す時には自分の興味のある職種に応募してきました。だから、どことは言いませんが、エジプト考古学の発掘研究をする研究所の募集にも応募したのです。
純粋に、小学生の頃に読んだハワード・カーターのツタンカーメン王墓発掘や、トロイの遺跡を発掘したハインリッヒ・シュリーマンのノンフィクションに触発されていたからです。
今の社会状況ではどうか分かりませんが、その研究所の担当者は「若い人の多い職場なので、年齢が上の人が入るとやり難くなりますから…」と言って断りました。そういう精神や考え方の方が、年を取っているとは思いませんか?
そうはいっても、昔の私は自分の行動範囲や能力について、前に述べた応募担当の女性のように、固定されたマインドセットを持っていたと思います。
中学生の頃に背伸びして触れたプラトンや孔子の著作にショックを受けて、1000年以上前、既にこのような深い思索が出尽くしているのだから、今の私が何を考え出そうが全てその枠を乗り越える事は不可能なのだと思い込んでしまったのです。自分の思索と思えるものは、全てその土壌の上に芽生え成長したものなんだから…とね。
これって、身の程知らずだったんですよ。だって、池のすっぽんが天空の月を見て「自分は月にはなれないから、努力しても無駄だ」って思うようなもんなんですからね。いきなり月を相手に考えるんじゃかくて、すっぽんにはすっぽんの努力。もっと大きくなるとか、池から大きな川に飛び出て旅に出るとかね…。
年齢を重ねるにつれて、小賢しかった子供の頃の生意気さが抜けてきたのです。負けを経験したくないために勝負を避けたり、挑戦することを止めたりした経験はありませんか?これって、つまらないこだわりだと悟ったのです。
なにかに挑戦する時に、結果も見ないうちにどうせダメだからと挑戦をしないのではなく、あくまでもしたいことをしようと思いました。だから仕事の応募は、最初の時(自信がなかった)以外は自分が興味のあるものを選び続けてきたのです。
皆さんも、仕事選びだけでなく全ての選択において、枠を設けることを止めてみませんか?