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先日、弟が亡くなったことを伝えた友人から、当日Eテレで19日に放送された日曜美術館の「極楽浄土をイメージする〜紫式部から法然へ〜」を見ていたとの返信がありました。
極楽往生ね…と思い、以前読んだ源信の「往生要集」を再読し始めました。
源信。十訓抄に出てくる「横川の恵心僧都」と言った方が馴染みがあるでしょうか…?
古文に苦しんだ人には、記憶がないかもしれませんね…。
恵心僧都。
源信は、まさに今大河ドラマの舞台となっている、平安時代に活動した僧侶で、後の大江匡房に学識に於いて当代一と称されたほどの天台宗の僧侶です。
大河ドラマの舞台だった平安時代は、末法の世とされていて、阿弥陀如来のお力に縋って極楽浄土に生まれ変わることこそが、この恐ろしく厭わしい世(穢土)の輪廻を繰り返すことを避ける手段であると思われていた時代だったのです。
往生要集は、とても長大な極楽往生への道筋をまとめ上げた書籍であり、そこには多くの経典の引用に留まらず、古今東西の仏教や他宗教への深い知識と考察が述べられている、読みこなすには時間のかかる書籍であると言えます。
私が以前心を惹かれたのは、往生要集の実践的な試みとして結集された「二十五三昧衆」についての記載でした。
源信と、志を等しくする慶滋保胤(よししげのやすたね)ほか二十五名が発起人として、往生要集の実践的な試みをする集団を結成します。
それが二十五三昧衆で、十二の起請文に従って念仏と仏への帰依を繰り返し、いざ結集者の中に臨終を迎える者が出ると、その者を往生院という別棟に横たえ、下の世話から吐物などの身の廻りの世話をしながら、念仏を励まし、ひたすら往生への手助けを行うという集団でした。
これを読んだ時、なんと古くからホスピスの発想があったことよ…と、日本人の精神性の高さに驚いたものでした。
結衆(集団の中の其々)は、相共に長く父母兄弟の恩をなすべきこと。
つまり血縁はなくとも親子兄弟の関係を維持する事とあるのです…。
そして最期の時を迎えるまで、念仏を唱えるよう励ましながら穏やかな死(極楽往生)を迎えさせるという、現代のホスピスにも通じる試みではないかと感銘を受けたのです。
この記憶が強かったので、再度読んでみました…。
もう一度読んでみたところ、少し観点が変わったのです。
勿論、血縁を離れて臨終の世話をし、念仏と阿弥陀如来への帰依をするよう励ましつつ最期を看取るという点が第一であったとは思います。
でもね、「往生要集」大文第六の別時念仏の項に、現世への執着をなくす意味から、身の回りには普段の物を置かず、ひたすら阿弥陀仏をイメージし念仏を唱え、もしも来迎の様子が見えたならば、本人は看病人にその様子を告げ、また病人が告げることができなければ、看病人は色々と聞き取ってそれを書き留め、もし罪による恐ろしい物が見えたならば、ともに念仏を唱え阿弥陀如来の来迎を願うというものだったのです。
これって、ビジュアライゼーションて事ですよね。
当代随一の学識僧だった源信にとっても、経典に書いてあることが事実であるか否かは、知りたかったのではないかなと思ったんです。
こんな解釈は、凡夫である私だからかもしれませんし、バチ当たりかも知れませんが、ちょっとそんな風に思えたんですよ…。
だってそうは思いませんか?
自分が学んだ事、説いていたことが本当なら、阿弥陀様はお迎えに来てくださる姿が見えるはずだ。少なくとも起請文を交わした人間達の中には、来迎を受ける人間が出るはずだ…とね。
そうか、イマジネーション、ビジュアライゼーションか…。と思いましたね。
実際にあるか否かという事にこだわる姿勢は、全てが空(実際には夢想である)である現世に生きている私たちにとっては、無意味なことじゃないかって気づいたんですよ。
う〜む、って思いましたね。
どんな終わり方でもOKってことじゃないですか❣️
阿弥陀様の来迎がイメージ出来たならね…。
だってそれは、各々の心象風景なんですから。