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今日は、亡くなった息子の祥月命日です。
本来ならば27回忌にあたるのですが、私は離婚後に17回忌を1人で行ってお経を上げて頂き、これを以て年回忌を終了させるつもりでいました。
それ以前から、中学以来の親友が毎年墓参に付き合ってくれていたので、離婚後も寂しい墓参ではなく、お参り後のランチとお喋りが楽しみに出来るものとなっていたのです。
今年は年回忌にもあたるので、祥月命日当日の今日を予定していましたが、昨日からの天気予報が、いかにも暴風雨であるかのようなものだったので、嵐の中での外出は友人に迷惑をかける為、前日に延期の連絡を入れることにしました。
毎年息子の墓参は梅雨の季節でもあり、怪しい天気となるのですが、不思議と雨にも降られず墓前では陽が差すことが常でしたので、今年もそうなるかなとは思いましたが、何せ暴風雨だとの予想でしたから諦めて連絡をしたのです。
所が、今朝外を見ると、それほどの風雨ではありません。
やはり行くことにして、1人でお寺に向かいました。
法事のような大仰なことはせずとも、夕方のお勤めの時にでも上げて頂こうと、お供えのお菓子を購入して出かけることに…。
法事といえば虎屋のお菓子ですが、息子は甘い物よりお煎餅の方が好きだったので、お供えにはお煎餅を選びました。
地下鉄の駅を降りると、風は強いものの雨は霧雨程度で、さほどではありませんでした。
花を買い、寺務所の呼び鈴を押すと、随分たった後に、住職さんが鍵を開けて出て来たのです。奥さんが留守とかのことで、暫くぶりに玄関先で住職さんと2人でお話をしました。
「私が言うのもなんですが…」と前置きをして、元主人の家では兄弟の仲がいよいよ悪くなり、訴訟騒ぎで法事どころではないとの話をしていました。実家を売ったこともご存知ない様子で、「思い出のあるお家でしたのにね…」としみじみとした声で話を続けます。
そんなこんなで、法事のお知らせをしても兄弟が集まらないとかの言い訳で、日延べをしたきり連絡も無いということでした。
亡くなったご先祖様は、さぞ気を揉んでいることでしょう。
とは言え、私にしてもお住職さんにしても、お経を上げたりお墓参りをして祈る事くらいしか出来ないのです。
「こんな事をして、自分が死ぬ時にどんな思いをするのか考えないんでしょうかね」と話して、ふと思いました。
息子が亡くなった時、異国の地でただ1人看取るものもないまま、それこそ畳の上で無い死を迎えた息子の死に際は、それまでの私の中にあった「常識的な死」の概念を覆すものだったのです。
「私の身内に、こんな死に方をするものがあるなんて…」
息子の死の連絡を受けた時、私の心に最初に浮かんだのがこんな言葉でした。
ですから、去年亡くなった弟が、家族ばかりか大親友にまで看取られて深夜に亡くなったと言う知らせを聞いて、「なんと幸せな人生だったのかしら」と思ったのは、ごく自然な感想だったと思います。
けれども、1周忌での義理の妹のでは、弟はまだまだ遊び足りなかったと言っていたとか…
いやはや、人の望みというものは限りがないものだなぁとつくづく思ったものでしたよ😅
私を始め、1人住まいの高齢者が増えている現代では、家族に囲まれて迎える最期自体が、稀有な幸福になりつつあるのではないでしょうか?
どんな最期を迎えるのかは、迎え方の状態ではなく、どのような気持ちで迎える事が出来たかに尽きるのではないかなと思いました。
お墓参りを終えて、住職さんから心を込めてお経を上げさせて頂きますとの言葉を頂き、お寺を後にしました。
帰宅途上の吉祥寺で、息子が大好きだったカツ丼を和幸で作ってもらい、写真の前に供えようと思いたちました。温かいカツ丼からは美味しそうな匂いが立ち上りました。

最高に心のこもった27回忌が出来たと、大満足で香食後のカツ丼を頂き、午後からの授業に出掛けることにしました。香りしか食べられない仏様に代わって、普段は食べないカツ丼をしっかりお腹に納めた私でした😋
思い切って出かけて良かった…。
今日は最高の1日です❣️